9.あちぃ
| 「兄さん、どうしたのその箱」 「ん?ちょっと、な」 どこから持ってきたのか巨大な段ボール箱を前に何やらゴソゴソ始めたエドワードを見て、 アルフォンスはため息を吐いた。 ほら、少し顰めたあの眉毛。 あれはきっと、何か嬉しい出来事があったときの兄さんの癖だ。 それはアルフォンスだけが知っている兄の癖。 嬉しいけれども素直に顔に出すのが憚られたり、 少し癪だったりする時にエドワードが見せる表情。 嬉しい気持ちをそのまま顔に出すことの、どこが悪いのかアルフォンスにはさっぱり 理解が出来ないが、彼はいつもこうなのだ。 喜んだり、悲しんだり。お礼を言ったり、謝ったり。 そんなとてもシンプルな気持ちのひとつひとつを、エドワードは恥じるかのように押し隠す。 そしてちょっとしかめた眉に、本当の気持ちの欠片を見つけるのが、アルフォンスの特技だった。 怒るとき、だけは素直かな。 (だからといって、それはあんまり良い傾向とは言えないかも。) 今にも唇の端から零れ出しそうな笑みを堪えるために、ワザと不機嫌そうに刻まれた眉間の皺。 でもこの僕を欺こうだなんて、10年早いよ兄さん。 「何を詰めてるの?」 「ああ、報告書」 「報告書?」 って、まさか大佐への定期報告のことなんだろうか。 いつもは大抵司令部の近くに立ち寄ったときに、直接兄さんが手渡しをしている、あの報告書。 それを嬉しそうに大きな(もしかしたら兄さんのひとりくらいはすっぽり入ってしまいそうな、って、 思っていても決して口に出したりはしないけどね)段ボールの箱に詰めているってこと? 「兄さん、いつの間にそんなに報告書を書いたのさ」 「馬っ鹿、そんなに書くわけないだろ。報告書なんて適当で良いんだよ適当で」 だったらその大きな箱は一体どうするんだよ? そう思って兄さんの手元をのぞき込んでみると、そこには。 段ボール箱の中に、また段ボール箱。 そしてその中にまた段ボール箱があって、その更に中にも……って。 「兄さん、それって箱ばっかりじゃないか!」 「ああ、実際の書類はこんなけ」 そう言って兄さんが指さして見せたのは、机の上に乗った書類の束。束って言っても、厚さはだいたい 10センチくらいだろうか。 「それっぽっちの書類を送るのに、なんでそんな大きな箱に詰めるの?」 「ほら、できた!」 「……?」 兄さんは僕の話を聞いていたのかどうだか。嬉しそうに顔を上げると、「ほら」と段ボールの中身を僕に 見せた。 「………兄さん、これって…」 「ああ、きっと大佐は俺の報告書を読むのに苦労するぜ!」 入れ子式のようになった段ボール箱はかれこれざっと見積もって…10コ以上。 その全部を開いていかないと、目当ての書類にはたどり着けないって寸法だ。 小さな、でもひどく手の込んだ悪戯。 コレを目にしたときの大佐の顔を見ることができないのが残念だと、 兄さんはそれでも嬉しそうに呟いた。 アルフォンスは呆れたように肩をすくめてエドワードを見る。 一体この兄は何を考えて居るんだろう。 でも目の前のエドワードはそんなアルフォンスの嘆息には全く気がついていないようで。 「っつ」 「どうしたの」 「あちぃ……!」 右手で押さえたエドワードの左手、その中指の腹に見る間に赤い玉が浮かび上がってくる。 「段ボール箱の縁で切ったみたいだ」 「もう、兄さんってば、つまんないことばっかりやってるから、天罰が下ったんだよ」 「いって…」 赤い玉の表面張力が重力に負けて流れ出す、その瞬間に、エドワードがぺろりとそれを舐め取った。 「段ボール箱なんかで、指切れるんだな」 半ば感心したように傷口を見つめるエドワードに、アルフォンスが『ハイ』と絆創膏を渡す。 「サンキュ」 「まったく、器用なんだから兄さんは…」 どうやったら段ボール箱なんかで指を切るんだか。 「でもさ、すげー痛いんだけど、痛いっていうより『熱』かった」 一瞬、火傷したのかって思うくらいに。 「ほら、やっぱり大佐が怒ってるんだよ」 「んな訳ねーだろ!」 「さあね、僕知らないから」 なんだよアル、やけに大佐の肩もつんだな、と愚痴をこぼすエドワードに、 やっぱり兄さんは分かっちゃいないなと心の中でひとりごちる。 知ってるの兄さん? 兄さんが不機嫌そうに眉をしかめるのは、大佐の前だけなんだって。 嬉しいときは笑って、楽しいときも笑って、そしてとっても簡単に言えるはずの「有り難う」とか。 他のことだったらとても容易いこと。なのに。 大佐の事でだけ、兄さんは眉をしかめる。 知ってるの兄さん? そんな兄さんのしかめっ面をみて、軽い火傷をしたみたいにちょびっとひりひりする僕の心。 『あちぃ』って、僕のセリフなんだから。 ま、しばらくは気がつかないフリをしていてあげるけどね。
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