8.甘過ぎる

細くうねった枝の先。

そこにしがみつくように残った一枚の葉があった。

周りの木々は、殆どの飾りを振り捨てるかのように、いたいけな裸の幹を風に曝しているというのに。
どうしてその葉だけは、未練がましくも枝に根ざしているのか。
微かな空気の揺らぎでさえ、容易くその葉を落としてしまいそうに見えるのに、大きく揺れながらも無事な姿を保っていた。

はためく風は冷たく。

そして枝に繋がる幹は、黒く濁り。

空を流れゆく雲は、沈みかけた残照を浴びてオレンジ色にたなびいている。

そのきわ、青と混じるあたり。
枝に残った葉は、その色にとても似ていた。

ぼんやりと窓の外の風景を見ながら、ロイは昔によんだとある物語を思い出していた。
確かそれは病気の少女が出てくる話だった。
重い病気に冒された少女は、病室の窓から見える木に残った最後の一枚の葉を、
弱っていく自分の姿にだぶらせてみていたようだ。

『あの最後のひと葉が落ちる時』

自分の命も潰えるのだと。

ロイはくすり、とほんの少しだけ笑みを浮かべる。
今は少し感傷的にすぎるらしい。
夕暮れ時だからだろうか。司令部の窓から直接沈む太陽を見ることは敵わないが、
それでも雲の端々を橙色に染めてゆく光は、どこか心臓の奥の方を捕まえて離さない、
甘いような、苦しいようなモノを、その内側に秘めているように思える。

ロイの執務机の上は、珍しく片づいていた。
ここ数日の溜まっていた仕事を片づけ、明日からしばらく、当方司令部を離れて視察に向かうことになったのだ。

『大佐、それまでには必ずこれを片づけておいて下さいね』

ホークアイ中尉の無機質な声とともに、どっさりと積み上げられた山はひとつやふたつではなかった。
軽い目眩を覚えながらもなんとか引きつる頬で「勿論だとも」と応えることができたのは、長年の訓練のたまものだ。

いつ終わるともしれない書類の整理に追われ、ここ数日はまともにベッドで寝たことのないロイだった。
仮眠室の難い布団にも慣れ、明日はいよいよ視察に出発という段になって、思ったよりも早く片づいた仕事を
ホークアイ中尉が先ほど全て、さらっていった。
すっかり見通しの良くなった机の上に肘をつき、そろそろ帰って明日の準備をするか、とロイが立ち上がりかけたとき。

「失礼します」

ノックの音と共にホークアイ中尉が現れた。

「どうしたのかね。書類になにか不備でも」

「いえ、今しがた、エドワード君とアルフォンス君が司令部に到着したとの報告がありました」

いかがなさいますか、との問いかけに、しかしロイは黙って首を振る。

「今到着したところならば彼らも疲れているだろう。明日、顔を出すように言ってくれ」

「しかし大佐」

「ああ、代わりに君が報告書を受け取っておいてくれ給え」

私はしばらくこちらを離れるが彼らによろしくな。会えないのが残念だと伝えておいてくれるかな、と首をかしげれば、
「かしこまりました」と律儀な返事が返ってくる。

「よろしいんですね」

「ああ。息災であればそれでいい」

「…余計なことを申し上げました」

「いや。鋼のも私の顔を見に来たわけではないのだからな」

兄弟には数ヶ月に一度、東方司令部に立ち寄るように伝えてある。
それ以外は自由にさせているものの、一応軍属の立場から言って、それくらいのペースで報告を求めなければ
他からの風当たりも強くなるからだ。
もちろん、彼らの無事な姿を定期的に確認したい、とのロイの意向も含まれては居るのだが、特にそのことを
告げようとは思わない。

年齢以上に肩肘を張って生きていかなくてはならない道を選んだのは彼ら自身だ。

不用意に差し出した手を悟られれば、彼らの自尊心を傷つけることにもなりかねない。
そして張りつめているからこそ、実力以上のちからを発揮できることもある。
張りつめすぎて切れそうなときだけ、その時だけ手を伸ばしてやればいい。
それ以外は彼らの道を進ませてやりたい、と思うのは傲慢だろうか。

しかしそろそろ報告に訪れる時期だとは思っていたが視察と重なるとは。

「では私も帰るとしよう。あとは頼んだぞ中尉」

「わかりました」

失礼します、と右手を軽く掲げて敬礼の姿勢を取り、ホークアイ中尉は部屋を出て行った。

その時、

「入るぜ大佐」

「鋼の」

「よう、久しぶり」

「ご無沙汰してます、大佐」

彼の兄弟が、そろって部屋を訪れた。

「報告なら明日で構わんよ、鋼の」

「ああ、今中尉とすれ違ったときに聞いた」

「大佐はあしたから視察でいらっしゃらないんですよね」

「ああ。しばらく東の方へいく。リゼンブールの少し北側にある町だがな」

しばらく帰らんよ、と言うと、エドが軽く舌打ちをする。

「だから今日ご挨拶しておこうよって、兄さんに言ったんです」

「別に大佐の顔見に来たわけジャねーからいい、っていうのに」

「もう兄さんってば、大佐にはいつもお世話になってるんだからご挨拶くらいしようよ」

「だから来たじゃねーかよ、もういいだろ、アル」

「まだきちんとご挨拶してないでしょ」

へいへいへいと生返事をして、エドワードは腕を大きく伸ばし欠伸をひとつ。

「にいさん!」

「はははは。構わないよアルフォンス君。いつもの事だからな。鋼のが礼儀知らずなのは」

「す、すみません大佐」

「謝んなよアル、いいって言ってんだから」

「君もアルフォンス君の半分でも常識ってものを知った方がいいぞ」

ますます小さくなるアルフォンスと、いっこうに反省の色が欠片も見えないエドワードに、
ロイは立ち上がって歩み寄る。

「な、なんだよ、やる気か」

「いや」

とっさに身構えるのを内心おかしく思いながら、ロイはアルフォンスの鎧の体に、ポンと手を置いた。

「君も、そんなに気を遣わなくていい。こんな兄を持って苦労するだろうが、なにも君がかしこまることはない」

「だ〜れが『こんな兄』だよっ」

「た、大佐」

「ゆっくりしていき給えよ、宿泊については心配要らない。私がいなくともホークアイ中尉に言えば
取りはからってくれるだろう」

「有り難うございます!お言葉に甘えさせて頂きますね」

「………けっ」

「君もだ、鋼の」

「何だよ」

体をエドワードの方に向けると、口をとがらせて少年はふてくされている。

よかった、彼はまだこんな顔をできる。

自分の前で、こんな表情をできる。

ロイがエドワードを挑発するような言葉を故意に選んでいるのには、理由があった。

エドワードの、年相応の表情。

怒ったり、喜んだり。
普段から表情豊かなエドワードはここ東方司令部の面々と顔なじみもあってか、エドワードがこちらに顔をだしている
ときには、心なしか司令部の中が騒がしい気がするのは、錯覚ではないはずだ。

それでも。

ロイはもっと彼のそんな表情を見たいと思うのだ。

自分には、彼に年相応の笑顔を浮かべさせてやることはできないだろう。
それは彼の弟だったり、幼なじみの少女だったり、
また、ヒューズならば可能かもしれない。

でも自分には出来ないことが、分かっている。

ならば、彼を挑発して、怒らせ、思う存分に我が儘を言わせてやりたい。
(単純に彼をからかうのが楽しい、というのも勿論あるけれども。)

自分は自分にしかできない方法で、彼らを見守っていきたいと思う。

「たまには兄らしくしてみせるのだな」

「うるせーよ大佐、アンタにだけは言われたくねえってば」

「口だけは達者のようだが」

そう言って無言でぽんぽんと三つ編みの頭を軽くたたく。

「少しは成長したのかと思ったが」

「る、るせー!」

「はははは。ではまた」

明日は早いのでそろそろ失礼するよ、との言葉に、ふてくされた顔のまま、エドワードが悪態をつく。

「もう顔なんてださねーからな」

「兄さん!…大佐もお気を付けていってらしてください」

「ああ、有り難うアルフォンス君。君たちもな」

「失礼します」

「クソ大佐!今度会ったら覚えてろよ」

部屋を去り際の捨てぜりふと、弟のたしなめる声を聞きながら、ロイもコートに袖を通す。

すっかり暗くなった外を眺めて、ふと先ほどの葉が落ちていることに気づく。

常緑樹でないかぎり、葉はいずれ落ちる。分かり切ったことだ。

でも落ちないで欲しいと願うのも、人間らしい気持ちだ。
勝手に思いを重ねて、落胆したり、喜んだり。

でもそんな思いも全て、葉は知ることはない。

自らの運命をただ、全うするために存在する。

そして、自らの運命を変えるべく、走り続けている少年達が居る。

こちらの思いにかかわらず、彼らは挫折し、傷つき、倒れるかも知れない。

自分はその時に、雨風にさからって葉を枝にとどめることはできないだろう。そんな力も持ってはいない。
葉を描くことも、しないだろう。

でも、それでも。

枯れた葉はいずれ、春を迎えて芽吹くことも知っているから。

それを見守ることは、出来るから。

春が来るまで、木が倒れないように。

見守り続ける。

「甘すぎる、のかな、私は」

苦笑いをひとつ。

今日は砂糖抜きのコーヒーが飲みたい気分だな、とひとりごちて、ロイはドアを閉めた。








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なんだかエドロイというよりもロイ→エド+アルの構図が
私の中では強いみたいです。
大佐はエドを大好きだけど、アルのこともも大好きで居て欲しい〜
という願望があります。


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