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| 「何なんだ、コレ」 「何って、見たとおりだが」 「……『クマのぬいぐるみ』に見えるんだけど」 「良かったな鋼の。君の視力はまだ衰えていないようだ。勿論物質の形状を認識し、過去の記憶と照らし合わせてもっとも近いものを引き出すという脳内の記憶中枢にも問題はないようだな」 エドワードは埃っぽい空気の中、なんとかくしゃみをひとつやり過ごそうとして涙目になりかけたまま、傍らで梱包作業を続ける青年の姿を見遣った。 黙々と作業を続けるロイの向こうに積み上げられた段ボール箱の数は、既に十を超えた。作業を開始してからまだ一時間やそこらである事を考えると、なかなか効率は良いのだろう。 少しばかりの満足感が少年の心裡を占める。 早朝と言うには少し陽が高くなり、かといって昼前と言うにはまだ空気の澄んでいる時間帯。換気のために開け放たれた窓越しに見える高い空の色が、いつも以上にエドワードに余裕を持たせていた。 なに、この大人の大人げない言動も、今に始まった事じゃなし。 「クマのぬいぐるみ、ね…。詰めちゃっていいの、コレ」 「いや、それは除けておいてくれるか」 「はいはい」 少年との遣り取りの間にも手を止める事のない青年の横顔は、微動もしない。床に積み上がった箱の数は、確かにそれなりの数にはなっているが、実際に本棚の空洞が増えたかと言われると、作業開始前とさほど変わったようにも思えない事に気がついて、思わず溜息が漏れた。 詰めても詰めても、まるであとから湧いてくるかのように本は棚の上から少年を睥睨しているかのようだった。 此処は中央の市街地に位置するアパートメントのマスタング大佐の自宅。珍しく今月既に三日目の非番日に、家主が在宅しているのは、明日に控えた引っ越しの準備の為だった。 一週間前から取りかかっていたはずの準備は、全くといって良いほどはかどっておらず、見かねたアルフォンスの申し出によって、エルリック兄弟がその手伝いに訪れていたのだ。 何よりも、部屋の中を埋め尽くす本棚とその中身の蔵書に、エドワードは手を焼かされていた。だからといって、ロイが別段異常なほどの蔵書を誇る、という訳ではない。 一般人ならいざ知らず、軍の佐官、しかも国家錬金術師なのだ。一部屋分くらいの本はあって当たり前だろう。 ただ、荷造りの途中、時折混じる「アメストリス軍蔵書印」というスタンプを押された本は、見なかった事にした。 「なあ、コレって午前中に終わりそうなのか」 「君の働き次第だな」 「………努力します」 「いや、そう言う意味ではないのだが」 予想していなかった返答に顔を上げると、少し困ったような顔がこちらを向いていた。いや、その視線はエドワードではなく、その後ろに向けられている。 「悪いな、君達を巻きこむつもりじゃなかったんだが」 「構いません、僕たちだって手伝えることなら何だってお手伝いさせてください」 力仕事ならお役にたてますから、と明るい声が床に座り込んでいるエドワードの頭上から降ってきた。 鎧の姿をしたこの弟は、長身を生かして本棚の高い部分を受け持っているのだ。 「私がやると、うまく進まなくてな」 言いながら頭を掻く大人の足下にある段ボールは、なるほど、エドワードの梱包した数の半分にも満たない。 辺りに散らばった本はいくつかの山にわけられ、片づけているのか散らかしているのか分からない状態だ。 ただ、その山達はよく見ると分野別、著者別に大別されている。 「つい、整理してから詰めようなどと考えてしまうものだな」 「そんなのやるだけ無駄だよ、どうせまたしばらくは開けないんだろ」 引っ越し先に持っていったところで、今度は荷物を本棚に整理する時間が無いことくらい、エドワードにも簡単に想像がついた。 単に移動させるだけなら端から詰めていった方がずっと効率的だ。 何も考えず梱包できるエドワード達の働き次第、というのは、つまりそういう事だった。 「ああ…そうだな」 苦笑混じりに返して、ロイは再び手を動かし始めた。 ようやく棚の半分が空になった、と見えたとき、既に時刻は正午近くとなっていた。この様子だと夕方にはあらかた片づきそうだとロイは立ちあがって、軽く伸びをする。 「ここらで一息いれるか。昼食を買ってこよう。食べるだろう、鋼の」 「胃の中に入れるモン入れとかないと、昼から動けなくなりそうだぜ」 余程腹が減ったのだろう、情けない声で返す少年を笑い、ロイはさて、と辺りを見回す。 「それは大変だな。朝注文しておいたから、もうできているだろう。すぐに買ってくる」 羽織ったジャケットのポケットに剥き出しの札を何枚か突っ込んで玄関に向かう後ろ姿を、アルフォンスが呼び止めた。 「あ、僕が行きますよ、大佐もお疲れでしょうから、ちょっと休んでてください」 僕なら疲れないんでへっちゃらですよという鎧姿の申し出は、正直ロイにとってもありがたい物だった。 「じゃあ済まないが、頼めるか?ヘインズさんの所だが…二つ目の角を曲がったところの」 「分かります、大丈夫ですよ」 ヘインズさんちのローストビーフサンドは、兄さんの大好物だもんね、と言いながら、アルフォンスは受け取った数枚の札を、律儀に財布へと仕舞う。 「行ってきます」 アルフォンスがドアを開けると、一陣の風が部屋の中を通りすぎた。 「それにしても、こいつ、どうすんの」 「ああ、そいつは…」 エドワードが示したのは、先ほどロイに除けておくようにと言われたクマのぬいぐるみだ。 茶色の、少しばかり長めの毛足の布で作られたそれは、愛嬌のあるボタンの目をまんまるにみはって、こちらを眺めているようだ。 よく見ると、そのボタンを縫いつけてある糸が、左右で違う色になっている事にエドワードは気がついた。 左側の糸が胴体の色と同じ焦げ茶色なのに対して、右側の目は黒い糸で縫いつけられている。 しかも少し縫いつけ方が甘かったのだろう。 糸に余裕ができていて、ぬいぐるみを持ち上げると、ボタンがぐらぐらと揺れてしまう。 「これ、右っかわの目、アンタが付けたんだろ」 「よく判ったな」 立ちあがったロイは、台所から透明な瓶を二本持って、部屋へと戻ってきた。 この中央では良く見かける無発泡水の瓶だ。 栓の開けられた一つをエドワードへと手渡し、ロイは手に残った瓶へと直に口を付けて水を呷った。 「……結構行儀悪いんだな」 喉を鳴らして一息に半分ほども飲み干したオトナを、しかめっ面で見上げてエドワードは呆れたように言う。 「おや?リゼンブール育ちのご子息は、よく冷えたグラスが無いと水も飲めないと見える」 「んな訳ねーだろ」 思い切り作った渋面が可笑しくて、ロイは小さく笑った。 そんなオトナを横目でにらみつけながら、エドワードも受け取った瓶に口を付ける。 「かなり薄汚ねーな、コイツ」 「レオ、という名前があるんだがな」 「クマなのにレオ(獅子)、って、変なの」 からかうようなエドワードの言葉に、「そう言えばそうだな」と、ロイが驚いた表情を浮かべる。 「え?今頃気がついたのかよ」 呆れた口調で問い返す少年へ吃驚するほど生真面目な顔で頷いた大人は、エドワードの手の中から茶色のぬいぐるみを取り上げた。 目の高さまで持ち上げて、光に透かすように、眺める。 「祖母が付けてくれたんだ、確か」 「レオって名前を?」 「ああ」 ふと、眇められる目はとても柔らかな光を宿す。 「多分『強いイメージの名前』だったんだろう」 熊だから強い。強いからレオ。 しかしロイを見返してくるとぼけたようなボタンの瞳は、およそそんなイメージとはかけ離れていて、思わず唇が綻んだ。 「そう言えば」 よみがえる、穏やかな声。暖炉の火に炙られたつま先の暖かみのような声。 ロイ、どうしたの、そんなに泣いて。 この子はレオって言うのよ。強い熊の男の子。 レオ、とロイ、って、似てるでしょ。ほら、きっと貴方も強くなれるわ。 きっと。ね、だから、ロイ。泣かないで。 胸を浸すのは、感傷でもなく、後悔でもなく。 ただ、じわりと押し寄せる温度。 「アンタは…」 少年の声に我に返り、ロイは振り返った。 そこには、痛いほどに金色の目を見開いたエドワードの姿。 「想い出を抱いて、生きていけるのか」 この軍属の身で。一兵士として、軍隊が政を支配する、この国で。 幸せに家族と暮らしていたイシュヴァールの民の生活を、想い出を、焼き尽くしたロイが。 問いかけるエドワードの中には、きっと様々な疑問が渦巻いていることだろう。女々しいと嗤いたいのかもしれない。 間違っていると、糾弾したいのかもしれない。 帰るべき場所を自らの手で焼き払った少年の覚悟を、ロイも知っている。柔らかな想い出を、自身の手で灰に還したその思いは、いかばかりか。 だが、それでもロイは想い出を消し去るのではなく、前へ足を運ぶ、その力に変える術を知っているから。 ふと少年が泣き出しそうな顔をしているように見えて。でもすぐにそれは思い過ごしだと気づく。 「自分で決めた事だ」 「そう…だよな」 「君も自分で決めたのだろう」 悩み、苦しみ、そして考え抜いた筈だ。 「ああ」 「ならば間違っていることなんて、無い」 今度こそ本当に、エドワードは驚いた表情を隠そうともせずに、ロイを見上げた。と、その時、 「ただいま」 アルフォンスの声と共に、食欲をそそる香ばしいパンの香りが鼻腔を突いた。 「おかえりアルフォンス、済まなかったな、遣いなどさせて」 「いいえ、とんでもない」 有り難う、とアルフォンスから紙袋を受け取ったロイは、中から紙に包まれたサンドイッチを取り出す。 「ほら、鋼の。君の分だ」 「あ、…有り難う」 「コレを食べて、昼からもよろしく頼むよ」 まだまだ、棚の半分ほどは本で埋まったままだ。 「実は寝室にもまだ、本棚が残って居るんだ」 「げっ」 「ええっ」 同時に声を上げた兄弟と顔を見合わせると、溜まらずロイは吹き出した。 「な、何が可笑しいんだよこのヤロっ!だいたいアンタがちゃんと一人で準備しないから」 「兄さん、大佐にむかってなんて言葉遣いなんだよ」 「るせーっ、良いんだよコイツにはこれくらいで!」 そんな兄弟とロイとのやりとりを、段ボールの上のぬいぐるみは、まんまるなボタンの瞳で眺めていた。 緩めに縫いつけられた片方の目は、すこし斜めになって、まるでウインクをしているようにも見えた。
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