SDR4 中編



少年の乾いた眼差しが、ロイの心臓を射る。
言葉を失ったロイは、ただ眼前に迫るエドワードの顔を見つめていた。

「わかんねーよ、アンタが」

 エドワードは、ロイと目を合わせたまま切れ上がった眦の傷跡を指でなぞった。
其処だけが他の皮膚よりも赤みを帯び、ひきつれたような痕が残っている。

 ロイは僅かに肩を震わせ、しかしエドワードの視線を正面から受け止めたまま、此方も目をそらす事はしない。
それが正しい事なのか果たして間違っているのか。ロイには判断も付かなかったが、それでも乾いた光の奥底に、泣き出しそうな色が潜んでいる気がして思わず眉根を寄せる。

「なんで、俺の事」

それを、違った意味に取ったのだろう。
苛立ったように言う少年に掴まれた手首へと突き刺す痛みが走って、爪が食い込んでいるのだろうとロイは考えた。
ぴりりとした痛みは、おそらく彼の爪が皮膚を破った所為だろう。

「エドワード」

その痛みに我を取り戻し、青年は再び目の前の子供の名前を口にした。


 喉が、ひりついたように妙に渇いている。
 でも自分の口から出た言葉は、驚くほどにいつもと変わらない抑揚を纏っていて。
 エドワードに知られないように、心の中だけでため息を吐きながら、年を取るというのも悪い事ばかりではないと考える。
 こんな仮面を容易く被れるのならば。

 のし掛かっている少年を見上げながら、つとめて静かにロイは言葉を発した。

「退きなさい、エドワード」
「嫌だ」
「退くんだ」
「嫌だ!」

頼むから、とエドワードは顔を歪めた。

「俺を…」

拒まないで、という言葉と共に、ロイは自分を組み敷いている少年に口づけをされていることに気が付いた。

ただ触れあわされるだけのそれは、手首に食い込む爪の力とはうって変わってとても臆病だった。
少年にされている行為よりも、触れあわせた唇から伝わってくる微かな震えに、ロイは目を瞠った。
乱暴ではないキスに、却って少年を力づくで振り払う事ができない。

触れた時と同じように、唐突にエドワードは身体を起こした。同時に掴まれていた腕も解放される。

「俺……一体、」
「今日はもう帰りなさい」
「ロイ……っ」

思った通りだ。
手首には彼の爪の痕が残り、薄く血が滲んでいる。
その傷を眺めながらつい自分に舌打ちをしたい気分になる。

迂闊だった。

こんな形で少年を追いつめるつもりじゃなかったのに。

ソファへと押しつけられた時、ロイはエドワードに殴られるのかと想像した。
苛立った少年の気持ちを推し量れなかったのではない。
何か自分が対処を間違えたのだろう。
しかし決定的なミスに気づけないまま、ロイはただ少年の興奮を冷まそうと言葉をかけた。

「ロイ」

だからといって、自分がこの傷ついた顔の少年に手を挙げるなんてことは、考えられなかった。
さっきのは、キスなんて代物ではなかった。ただ偶発的な事故に過ぎない。
その行為に意味を見つけるのは愚かな事だ。

瞬時にロイの中で処理された事柄は、要するに「無かった事にする」という解決策だった。
それが何よりも少年を傷つけると言うことを、ロイは知らなかった。

「そんな顔で見るな…っ」

どんな顔だ、と理不尽な言葉を投げつけられた青年は眉を寄せて少年を見た。
しかし反論するべく開いた口にのぼるのは、別の台詞だった。

「さっきも言ったが、君はもう帰った方が良いんじゃないか、エドワード。もう良い時間だ、アルフォンスも心配するだろう」
「アルは関係無い!」

俺は今アンタと話をしてるんだ、と訴える少年は縋るような眼差しをロイに向ける。

「落ち着きなさい、言っている事が支離滅裂だ」
「そんなの当たり前だろ、俺にも分かんねーよ」
「エドワード」

なあ、と今度は肩に手を掛けられた。だがさっきのような乱暴さは無く、振り払おうと思えば容易くできる力だ。

「頼むから、俺を見てくれよ…ロイ」

見るなと言ったり見てくれと言ったり、一体どちらなんだ。途方に暮れてロイは正直天を仰ぎたい気分だった。
少年の情緒不安定が、単なる成績の不振だけではないと薄々気づいてはいた。

「俺はアンタが……ロイが、」

だが、だからといって少年が何をしても許してやる、なんておおらかな気持ちになってやる気は毛頭無い。

「エドワード」

ことさら声に感情を込めずに呼びかける。ロイの肩を掴んだ手が、小さく震えるのが伝わってくる。

「君は今何をするべきか、分かっている筈だ」
「はぐらかすなよ、ロイ」

少年が言葉を遮ろうとするのを無視して、ロイは静かに続ける。
これ以上彼の言葉を聞いてはいけない気がする。それが何故なのか、明確な理由は無かった。
しかし、頭のどこかで、警鐘音が鳴り響いているのだ。

少年の言葉を、聞くな。

「ディーズを見返してやりたいのだろう?アルケミスト号に乗りたいのだろう?」
「俺は……ロイが、アンタが」
「ディーズは優秀だ。君も知っての通り、彼も宇宙飛行士を目指している。
だがアルケミスト号の乗組員に選ばれるためには、そんな彼をも上回らなければいけない。分かるな?」

「俺はアンタが欲しいんだっ」

思いもかけない言葉で遮られ、ロイは息を詰めた。

「エド……ッ」

再び唇が重ねられた。
さっきとはうって変わって、それは激しい少年の心根をそのまま表したような、キスだ。
逃げる間も、無かった。

息を根こそぎ奪い取ろうと忍び込んできたエドワードの舌が、ロイのそれに絡みついて摺り合わされる。
ざらりとした表面で裏側をなぞられれば、背筋に大きく震えが走るのをロイは感じた。
かつて知らないその感覚に、ロイは不快気に眉を寄せた。

「止め……」
「嫌だ」

苦しい息の間に突き放そうとした腕は、だが少年の抱き取る動きに封じられた。
そのまま先刻も押さえつけられていたソファへと、身体ごと沈められる。

どさり、と二人分の体重を受け止めかねて、ソファが軋んだ音を立てた。
解放されようと身動ぐロイを一際、エドワードがきつく抱きしめた。

「止めなさい」

拘束する腕の強さに、ロイがくぐもった声で制止する。

「そんな、嫌なのか」
「嫌に決まっているだろう!一体何の真似だ」
「ロイ」
「私が君に勉強を教えているのは何のためだと思っている。こんな事をされる為なんかじゃないぞ」
「そんなの分かってるって!でも俺がロイの事を欲しいと思うのとは、全然別問題だろ」
「君はもっと他にやるべき事があるだろう」
「ロイ!」

頼むから黙って、と少年は掠れた声で懇願した。

「じゃないと俺、アンタに酷いことしてしまいそうだ」
「ふ、ざけるな!」

瞬間、怒りで目の前が白くなる。

そう思うのと同時に、ロイは渾身の力を込めて膝頭を少年の鳩尾に叩き込んでいた。

「くっ……!」

苦鳴をあげて、少年が腹を抱えた。
その隙を逃さず、ロイは組み敷かれていた身体を起こして立ちあがる。
今だ痛みに蹲るエドワードを見下ろして、ロイは苦く吐き捨てた。

「元宇宙飛行士を舐めるな。君ごときにどうこうされる程ヤワじゃない」
「……オレ、は…っ」
「言い訳はきかない。今すぐ出て行け」

続きます


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