・So Sweet ?
By やさぐれぬこ












「なあ。……これ。どうしても食うの?」

上目遣いに自分を睨めつける少年の口調は、恨めしげだ。
いつもは強い光に輝いている金色の瞳がわずかに陰っていた。
よしよし。それが見られただけでもこの余興は大成功だ。ロイ・マスタング大佐は口許で、うっすら微笑んだ。

東方司令部近くの目抜き通り、そこから広場に通じる脇道に入って五分ほど歩くと、小洒落たカフェが現れる。
そのテラス席に、大佐と鋼の錬金術師ことエドワード・エルリックは陣取っていた。

白布の上に臙脂のクロスを二重に敷いたテーブルの上には、この店自慢のワッフルとチョコレートケーキの皿がふたつ、でん、と載せられていた。
エドワード少年の目前に。

「遠慮しなくていいぞ。普段、書庫の資料整理をしてくれているお礼だから」

そう言ってロイは、自分のホットチョコレートを一口啜った。
ほろ苦い甘さの熱い液体が脳に沁みる。

「それ……おもにアルだから。俺は元の位置(と思われる場所)に戻すだけ」
「そうだな」

少年同様、書籍や分厚いファイル類を引っ張り出すだけ出して、適当に戻しておく(何となくその辺に置いておく)のが常習であったロイは、顎に片手を当てて鷹揚に頷いてみせた。
かつてはロイひとりが荒らしていた(?)のが、幼い錬金術師とふたりがかりで散らかした惨状に、鎧の弟がついにブチ切れたのだった。

「もう! だらしないんだから!! ちゃんと、整理して片付ける!!!」

その剣幕に恐れをなして、兄とその上司である大佐、及び側近の面々は、一日、資料室の整理にいそしんだ。
もっとも、司令部の副司令官であるロイは、体よく会議を理由にして、途中で戦線を離脱したのだったが。恨めしげな部下たちの視線を後目に……。

以来、きびしい弟の監視のもと、エルリック少年は今のところ、読み終わった本をきちんと片付けている。
シビアな副官に睨まれているロイも然り、であった。
半ば私用でこき使った部下たちのブーイングに対して、ロイは新しくできた酒場(バル)で大盤振舞いをして黙らせた。
普段からよく働いてくれている部下たちに奢るのは吝かではない。癖になるから、そう度々はたからせてはやらないが……。
何にしろ、魚介類をふんだんに使ったタパスやパエリア、甘めの赤ワインをロイも存分に堪能したのだった。

その席で、よく気の付く副官に「エルリック兄弟にはどういうお礼をしますか?」と訊かれた。
「子供の好みはわからん。本人たちに訊くことにしよう」……。

数ヵ月後、報告に戻った兄弟に話を振ってみた。
ロイとしては、食べも眠りもしない、魂を鎧に定着しただけの弟のことを慮って、お礼をしたいけれど食事では君が食べられないから、本か何か欲しいものがあれば……と。

「ホントですか? そんなに気を遣っていただかなくても。僕らこそ大佐にはたいへんお世話になっているのに……。
ああでも、それならお願いがあるんですが!」

胡散臭そうにこちらを見ている兄を後目に、恐縮しながらも控えめな彼には珍しく、アルフォンスは乗り気だった。
そしておもむろに、『スイーツ・コレクション』と題されたノートを取り出すと、赤線を引いたページを指差した。

「是非、兄さんにこのお店のスイーツを食べさせてやってください!」
「ちょっと待て、アル! なんでそうなるんだ?」

エドワードが抗議の声を上げた。

「だって、兄さんは、『身体を取り戻したら食べる美味しいものリスト』のスイーツ部門には協力してくれないじゃないか!」
「俺は、甘いモノは好んでは食べないの!」
「わかってるけど、少しは協力してくれてもいいじゃない! 世の中には美味しそうなスイーツが五万とあるんだから、僕のために味わってみてくれても……いいじゃないか」

虚ろであるはずの鎧の眼が潤むような、そんな気がロイにもした。
ぬぅッと一声唸って黙りこんだ兄に代わってロイは答えた。

「よかろう。この店なら知っているよ。今ご婦人方にたいした人気だそうだな。ホークアイ中尉、席の予約を頼む」
「おいッ、勝手に話を進めんなよ!」
「わあッ、大佐ありがとうございます! 嬉しいです。兄さん、よ〜く味わってきてね! 僕、感想を楽しみに待ってるよ……」




「鋼の。せっかくのワッフルが冷めるよ」
いくぶん笑いを含んだ声でロイが促すと、
「なぁ……これ、オーダー間違ってないか? 俺が頼んだのは、プレーン・ワッフルと、普通のチョコレートケーキだったと思うんだが」

少年はメニューブックを眼を皿のようにして隅々までチェックし、やっとのこと、その二品を選び出したのだった。
「最低、二品は食べてみてね♪」という弟の要望に応えるべく……。
運ばれてきたそれらの皿は。プレーン・ワッフルは三段重ねで数種類のベリーを甘く煮つけたコンフィチュールで周囲を縁取られ
ホールの四分の一カット分はあるチョコレートケーキには本体とほぼ同量のクリームが添えられていた。
その量ときたら、エドワードの数少ない記憶に残るそれらの、ゆうに三倍はあった!

「まあ、それがこの店の売りだからな。甘いものがお好きなご婦人方でも、流石に別腹とはいかないようで、食事代わりにするらしいよ」

少年は、まじまじとロイを見つめて、

「アンタ……ここに来たことあるワケ? デート?」
「さてね。ノーコメントだ」

少年は面白くなさそうに、ふん、と鼻をひとつ鳴らすと、おもむろにフォークとナイフを取り上げた。
ロイをまっすぐに見て、ニカッと笑う。

「“好んでは食べない”が、食べられないわけじゃないぜ。残念でしたね……大佐殿。俺の飲み物がホットミルクなのは、嫌がらせだろうが」

そう言って、ワッフルを一枚フォークで引きずり上げ、大口を開けてかぶりついた。
と、少年は眼をちょっと見開いて、しばらくもごもごと口を動かし、やっとこさ、飲み下してから、

「これ……めちゃ美味いな。しっとりとして、フワフワで……」
「そう思うなら、もっと味わって食べたまえ」

ロイは別に注文してあったアイスティーを手渡してやった。
「ありがとう」を言って受け取ると半分ほど飲み干し、エルリック少年は黙って食べることに専念し始めた。

「……なあ。大佐」

ワッフルの皿に飽きたのか、チョコレートケーキを嫌そうにつつき始めた子供は、唐突に訊いてきた。

「成長すると、食い物の好みって変わるよな?」
「何だ。いきなり」
「……う……ん。俺、いやアルも身体があった頃。今より、すっごく、ガキの頃だな。俺たち、母さんの作ってくれる甘いお菓子とか、好きだったな……と思ってさ」

それはこんな手の込んだものではなく、余った粉と砂糖を水で溶いて薄く焼いただけのお焼きとか、その時手に入った果物を刻んでソーダ水に浮かせただけの
フルーツ・ポンチとか(これなど凄いご馳走だった!)……。
兄弟で奪い合いのケンカになったことも、しばしばだった。

「………それは味覚に限らない。変化するのが当然のことだ。何が……」

問いかけようとしてロイは気付いた。
当然には変化しない存在(アルフォンス)のことに。

「俺は変わる。そうしたら、今、美味いと感じても、大人になれば違ってしまうのかもしれない……だとしたら、アルにちゃんと伝えることはできるんだろうか?」

何ということだ。齢十歳にして人体錬成を成したこの稀代の錬金術師が、そんなことを気に病むとは。ロイは俯き細かに震えだした。

「大佐?」

身を震わせて彼が笑っていることに気付くと、少年は眉を寄せ低く凄んだ。

「テメッ……何がおかしい」
「いや。失敬。鋼の錬金術師殿は“感じる”ことが怖いわけだ」
「別に。怖いとかじゃねぇよッ!」
「だが、弟に引け目を“感じている”わけだろう? 彼は失ったのに、自分が生身の感覚を持っていることに」
「元の身体は、必ず取り戻す! だけど、子供の時間は戻してやれない」

それは君だって同じだろうに。
ロイは微かに嘆息した。
人体錬成の副作用で失った自分と弟の身体を取り戻す。
その目的のために、十二歳で史上最年少の国家錬金術師の資格を得、軍属として生きる道を選んだ、エドワードにしても。

「“兄さんは、料理の盛り付けや微妙な香り付けなどの繊細さとは無縁な人種だけど、美味しいものはわかる”」
「あ゛?」
「と、アルフォンスが言っていた」

少年の眉間のしわが深くなった。
なのに、瞳の色は途方に暮れている。
そのアンバランスが美しいと思った。

「まあ、その程度には期待されているわけだから、しっかり味わいたまえ」

いいよもう、と呟いて彼は再び食べ始めた。

そうしていると、改めて子供なのだなと思う。
時として彼に現在の生き方を勧めたロイでさえ、忘れてしまうことがあった。

それ程までに少年は優秀なのだった。
本人に言ってはやらないが。

蜜色の金髪をざっくりと三編みした彼は整った可愛らしい顔立ちをしている。
小柄なので実年齢には見られず、ともすれば少女に間違えられ(どちらも本人に言ったら、殴りかかってくるだろうが)なくもない。
今みたいに神妙な? 顔をしてケーキと格闘している様は、いっそ愛くるしい。
普段はその言動から、凶暴な小猿くらいにしか譬えようもないのだけれど。

ロイはふと、自分たちはどんな風に周囲から見られているだろうかと考えた。
軍人と年の離れた少年が、恋人同士でもあるまいに、カフェの丸テーブルの隣り合った椅子に並んで座り(そういう配置だから仕方がない)甘い菓子を食っている。
妙な感じの見世物だ。
まさか親子に見られてはいまいな。勘弁してくれ……。

「アンタさぁ……猫みたいに笑うのな」

気付けば口の周りをクリームだらけにした子供が、ひたと自分(ロイ)を見据えていた。

「私がか?」
「さっきから、ニタニタと」

物想いが表情(かお)に出てしまったか。抜かったな。
それにしても。

「鋼の」
「あんだよ」
「では、猫はどんな風に笑うんだ?」

エドワードを揶揄うつもりで問い返す。
返答に詰まるかと思いきや、少年は口をもごもごと動かしつつも、即答した。

「アンタみたいに笑う」
「おい……それでは」

ロイがやれやれと首を振ると、

「違う。逆だ! 猫がアンタみたいなんだ」

流石にロイも虚を突かれた。少年は得意げに続ける。

「アルに庇われて、抱っこされている時の野良猫が俺を見る目つき……どこかで見たと思ってたんだが。
小馬鹿にしたような流し目で、口角をちょっと上げてひげを震わせて、甘え声で鳴いて見せるんだよなあ。
嗤われてるみたいでムカつくんだが。そりゃそうだ! アンタにそっくりなんだから、当然だよな!!」

嬉しそうに大口を開けてケタケタ笑い出した少年を、やはり一遍燃やしておこうと発火布の手袋を取り出そうとしたロイだったが、別の趣向を思いついた。

「まったく、行儀が悪い子だな……君は」

つと、長い指を伸ばして、エドワードの口の端にたっぷり付いているクリームをすくい、少年の口中に押し込んだ。
そのまま唖然としている彼の舌の表面を指先で撫で、柔らかな唇の裏側をくすぐるようにして引き抜いた。
その指に残ったクリームを今度は自らの舌で舐めとって見せる。軽く少年を睨みながら、

「軽過ぎず、くど過ぎず……美味いクリームじゃないか」

そうして、特別な敵に対峙した時のように皮肉な微笑を浮かべ、流し眼をくれてやった。
お望みどおりに……。
少年は頬を赤らめて、一瞬、途方に暮れたような表情をしかけた。
が、瞳の奥にちらと強い光を宿すと、こちらも満面の笑みで上辺だけの無邪気さを装い、

「うん。こっちも味わってみて」

生身の左手指で、ワッフルの添え物のラズベリーをひとつ摘むと、ロイの鼻先に突きつけた。

「ねえ。大佐?」

ちょこんと、首を傾げさえして。
いいだろう。求められるままにロイは口を開き、赤紫色の実とともに少年の指先をくわえ、舌先でねぶってやった。
なるほど。甘酸っぱさが絶妙だな……。
と、くわえた指が歯列の裏で蠢いて、口中を犯そうとする。
遠慮なく、前歯の間で噛んでやった。
ギャッと、叫んで指を引き抜き、エドワードは涙目で悪態をついた。

「痛ってェ〜〜〜ッ、何しやがる、この性悪猫!」
「ご期待に応えたまでだが? さあ、戯れ事は終いだ。さっさと食え」

凄むでもなく言い放つと、ロイは給仕を呼び、勘定を申しつけた。
少年はブツブツ言いながらも、皿の上の残りを片付け始めた。

まったく、自分としたことが子供相手にムキになるとは!
……ロイ・マスタング大佐はその後鉄壁のポーカーフェイスを崩すことは無かった。
けれど内心は、少年の言動を忌々しく思いながらも、実はそれ程嫌だと感じていない……ことに一番戸惑っていた。

対するにエドワード・エルリック少年は、上目遣いに上司の様子を伺って、ここは神妙にしていた方がよいと計算した。
だが自然とニヤけてきてしまうので、少し俯いた。不埒にも腹の底で思うには……。






「美味そうだよな……大佐って」













end