たかく、たかく舞い上がる。



つばさあるもののように。



とおく、空のかなたへ。











 ばたばたと足音がする。
 
 ああ、あれは彼の足音だと考えると、ほんの少しだけ、胸のおく深い場所が暖かくなり、心臓が僅かに早鐘を打つ気がするのは、錯覚だろうか。
 
 そうやって自分ではどうにも制御できないことが、このごろ増えてきたように思う。
 ふと、かろやかに揺れる金髪が視界をかすめると、無意識に追ってしまうこととか。
 赤いコートの裾にからむ風を、見るともなしに見てしまうこととか。
 それと気づかぬうちに、ブラックの筈のコーヒーに小さじ一杯の砂糖を入れてしまっていたりとか。
 
 けっして普段こんな失態はあり得ない。有能な若きエリートを自負する自分なのだから、全ては効率を考えて、緻密な計算の上になされなくてはいけない。高いところにある本を取るために立ち上がったならば、机の横にある一杯になって溢れんばかりの屑籠を空にするべく、ゴミ袋も一緒に取り出す。屑籠を空にした手で内線電話を使い部下を誰か呼び出す。ゴミ袋の処分をしてもらうためだ。勿論暖かい飲み物を頼むことも忘れない。そしてようやく書架から目当ての本を取り出し、椅子に戻る途中、そろそろ翳ってきた窓の外を気にして灯りのスイッチを入れる。
 
 こうやって、何一つ無駄な動作がないように、常に頭を使い、効率を念頭に置いて行動するように心がけているのだから。
 
 なのにあのせわしい足音が聞こえたとたん。
 今のいままで頭を占めていた内容は雲をかき消すように霧散してしまった。
 
 いや、頭のなかは相変わらず仕事を第一に考えている有能なエリートのままだ。次に何をするべきか、そしてそのために用意すること、なされた事の結果のシュミレーションというように、絶えず動き続けて思考をとどめることはない。
 
 ただ。
  
 自分ではコントロールのできないこと、こころの動きがそれを全て無効にしてしまうのだ。
 規則正しいメトロノームが、アップテンポのドラムスの乱れ打ちにかき消されてしまうように。
 全神経が、まるで耳になってしまったかのように。
 
 ドアの外、近づいてくる足音。
 十メートル、
 五メートル、
 一メートル。
 さあ、ドアの前に彼が立った。
 
 思うと同時に、乱暴に分厚い木をノックする硬質な音。大抵の部下はリズムが『コンコンコン』なのに対し、彼のそれは『ココン、ココン』と性急ではあるが少し可愛らしい気がする。
 ここでまず一呼吸。椅子に深く腰掛け、ゆったりと手を組み。
 目を閉じて、それからようやく
『どうぞ』

 「ひさしぶり、大佐」

 「半年ぶりだな、鋼の」

招き入れる声は震えてはいなかっただろう。自信がある。

 季節を重ねるごとに、外側と内側の差違を大きく感じるようになった。他人の目に自分が今どのようにうつっているか。手に取るようにわかる。だから今の声も、いつもどおり落ち着き払った有能な上官のものとしか、彼には聞こえていないだろう。
 こんなにも内側はざわめき、細かくさざなみが立っているというのに。

「半年も経っていたっけ?」

 青年というにはまだまだコドモの顔立ちが際だって残っているが、少年とよぶには少し瞳の色が深くなりすぎた気がする。前だけを見て全力疾走している彼にとって、半年というのは列車で隣の駅に着くまでの小休止みたいなものだろう。そう思うと倍近くの人生を歩んできたその足跡を誇らしく思っていた気持ちが、少し萎えてしまいそうになる。
 うらめしい気持ちになった事は、だが勿論、表情には出さない。

「正確には五ヶ月と十七日」
「はいはい、アンタなんでそんな数字ばっかし覚えてるかな」

そして彼が差し出した紙の束。
「はい、これ報告書」
「半年分かね?えらく分厚いようだが」

受け取った手にずっしりとその重さを伝えてくる書類は、きっとここ一週間ほどの苦労のたまものだろう。意外と綺麗な字が、きちんと並んだ報告書に、こっそりと感心する。

「ああ、わりかし興味をそそられる事があってさ。つい熱がはいっちまった」
「それは楽しみだな。あとでゆっくり見せてもらうこととしよう」
「…アンタが言うと妙に嘘くせーな」
「はははは、失礼だな君は」

 本心からに決まっているではないか、との言葉もきっと虚ろに響いているのだろう。
 
 軍隊に入り、叩き上げにしてこの若さで大佐の地位を手に入れるまでに、自然と身に付いた芸当だ。まったく、こんなもの余興にすらなりはしない。

「それよりも弟のアルフォンスはどうしたのかね」
「アルは下で中尉の手伝いをしてる」
「ああ、それはすまないな。有り難う。私からも礼を言うよ」
まったく君の弟はよく気がつくすばらしい少年だな、と言うと、少し照れたように横を向いてしまう。彼はどうやら自分の事よりも弟の事を褒められるほうが嬉しいらしい。

 弟思いの兄に、兄思いの弟。理想的な兄弟。
 彼らの間に横たわるものが、勿論一般的な兄弟とは全く異なることは承知している。兄は弟を助けるために、ヘタをすると自らの命を引き替えにしなくてはならないという場面で、躊躇うことなくそれを差し出したのだから。

 鈍く光る鋼の右腕と左足。

 見るたびに、私にすらそれを思い起こさせるモノ。
 それでも私は彼の鋼の手足が好きだった。
 弟を思いやる彼の、そんな気持ちに触れるのは、心地良いことだから。

「でさ、大佐」
「なんだね」
「キスしても、いい?」

唐突な要求。突きつけられてきっと私が狼狽えるかと思ったのだろう。

だが、こちらとてそう易々と思惑に乗せられてやるほど大人ではない。
生きてきた人生の分だけ、大人になれるなんて誰が決めたのだろうか。

だから言ってやる。たっぷりと、余裕を滲ませて見せつけてやる。

「…君の好きにすればいい」
「………っ」

私の言葉が、きっと彼の気に入らなかったのだろう。
 一瞬眼差しがきつくなったが、それでも彼は大股で近づいてきて、椅子に腰掛けたままの私の上にかがみ込み無言のまま唇を重ねた。

 一秒、五秒、
 十秒……

 彼はせっかちに私の唇をこじ開け、舌先を割り込ませてくる。
探るように動き回る彼の舌は、私の息全てを呑み込もうとしているかのようだった。
 稚拙ではあるが、真っ直ぐに向けられた激情のようで、頭の芯がぼうっと熱くなる。

 二十秒………

「は、がねの」
いっこうに絡ませる舌を解こうとしない彼の胸を少し押して、ようやく私は自由になることができた。
「ちょっと待ちたまえ、ここをどこだと」
「ンなことはどーでもいいよ。半年ぶりなんだからさ」
そう、初めて彼と躯を繋いだのは最後に会った半年前のことだった。

 戸惑いながら、初めて知る感覚にほんの少したじろいで、それでも彼は貪欲に私を求めた。
 方法もしらず、ただ本能が求めるままに動く彼を、正直大人として受け入れる余裕は、私にはなかった。
 驚くほどの心地よさが全てをさらい、抱きしめていたのは私だったのか、彼であったのか。果たしてそれは何か意味のある事のようで、でも直ぐに気持ちの奥深く眠って、再び目を覚ますことはないと思っていた。

 それなのに。

 かれの足音を聞いただけで、私には分かってしまった。

 熱を持った塊は、深い場所で眠っていただけなのだということ。
 二度と醒めることのない眠りではなく、つかの間の休息のようなものだったこと。
 こみ上げてくるその熱に、ともするとさらわれそうになる自分を自覚しつつ、表面は完全な「ロイ・マスタング大佐」を演じることによって、自分の優位を保とうとしたのだ。

 いや、優位などではない。
 かろうじて残った面目とでもいうのだろうか。
 大人としての、つまらないプライドにすがって。
 みっともないのは、私の方だ。

「大佐」

 ふと意識を反らせている間に、太陽の色をした瞳が至近距離で私をのぞき込んでいた。

「ちょっとはこっち見てよ」
「あ、ああ」
「いっつもアンタはそうやって、どこ見てるんだかわかんねーけど、今だけはさ」
「鋼の」

 ダメだ。
 それ以上言ってしまっては。

 私は彼の言葉を遮るために、自ら唇を重ねた。
 ゆっくりと両腕を彼の首に回す。

「た、いさ」
「黙って」
私は彼の言葉を聞くのが怖かった。

 これ以上、自分がどうにかなってしまうのが怖かったのだ。

「あ」

 手の甲の部分で、彼のズボンの上からそっと触れる。
 既に熱を持ったそこは、はっきりと欲を表していた。

「大佐、なに」
瞳が戸惑うように揺れる。
「黙っていろと言っただろう」
私は椅子から降りて彼の前にひざまずく格好となった。そして少年のズボンの前をくつろげると、そっと手を滑り込ませる。
「やめっ、大佐」

 熱の塊を取り出し、指で促すように数回擦り上げる。角度を持った先端が濡れ始めていることを確かめて、私は唇を寄せた。
 動きをとどめようとする彼の手が髪を引くのを感じたが、そのまま強引に全てを含んで見せる。
「あ、あっ…やめろ…ってば」
舌全体で包み込むようにし、そっと強すぎない程度に柔らかく根本に歯を当てる。
 じわりと、舌の上に彼のぬめりの味がひろがった。
「たい、さ……っ」
あっけなく彼は私の口の中ではじけた。受け止めたそれを、大きく喉を鳴らして呑み込んでやる。

 肩で息をしながら、彼は真っ赤になった顔を歪めて、私を見た。
 一瞬、泣き出すのではないかと思った。

「なん…で、そんなことするんだよ」
「好きだからだよ、鋼の」
「………っ」
流石に初めての行為だった。彼の放った精の苦みで、うまく笑えたかどうか分からない。 苦しそうに歪められた表情のまま、彼は乱暴に私の上にのし掛かってきた。
 私の上着をはだけ、その下のシャツが見えると、小さく舌打ちの音が聞こえた。

「悪ぃ、大佐。あとで中尉にでもつくろってもらって」
「な、に…」
ブチブチ、と小気味よい音が響き、小さな白蝶貝の釦がすべてはじけ飛んだ。
 スローモーションのように宙を舞うそれは、回転しながら床に落ち、ころんと転がった。
 ぼんやりとそれを目で追っていた私の意識は、濡れた感覚が首筋に触れるのに引き戻された。

「鋼の」
「アンタが悪いんだぜ」
私の上に覆い被さった彼は、唇で直に肌を探りながら、ところどころできつく吸い上げてくる。

 痕が残ってしまうだろうというくらいに、強く、時には歯を立てもする。
 胸の突起を嬲られて、背筋に快楽が這う。
 意識をそちらに持って行かれている間に、中心を指で取り出され、握りこまれた。
 中指と薬指のあいだ、間接で先端を内側に挟み、細かく揺さぶられれば、どうしようもない声が漏れるのを、とどめることもできない。

同じ事を女性にされても、こんなに強い刺激はなかった。
 少年の拙い指の動きが、何故か私の躯の芯を捕らえて離さなかった。

「ああ………鋼、の」
「大佐」

そして躊躇いがちにではあるが、ゆっくりと奥に延ばされる濡らされた指先。

 私は受け入れやすいように、足を開いた。

「痛かったら、勘弁な」
俺、あんまし我慢できそうもないかも。
掠れ気味の声が耳元で囁く、それだけで私は自分の中心に欲がにじむのを感じた。

 慣らすために差し込まれた指がもたらした苦痛は快楽を上回り、僅かではあるが常に消えることが無く、合間あいまに意識を引き戻される。
 そして言葉通り、性急に侵入してきた彼自身を受け入れるときも、一層の圧迫感に呻くこととなった。
 痛みを散らすために、萎えかけた中心に触れられるが、それは却って私のからだを強ばらせることとなり、結果としては逆効果だった。

 稚拙な愛撫が、彼を一層感じることにつながり、それでも私は幸福だった。
 からだの奥ではじけた彼を感じたとき、私もしらず、快楽の印を放っていた。












「じゃあな、大佐」
「ああ、君も元気で」

別れの言葉はそれだけ。

 少年は来たときと同じように、靴音も高く去っていった。
 小さくなって消えていくその音にしばらく耳を澄ましていたが、いつの間にか消えてしまったそれを感じるのがいやで、目の前の書類に手を伸ばした。

 彼の書いた報告書。
 次に会えるのはいつだろうか。半年、いや、一年先かも知れない。
 彼は弟とともに、険しい道を歩んでいるのだから。

 私は、彼の助けになれないことを知っている。

(私には自分のやるべき道、進まなくてはいけない道があるのだから)

 弟のように彼に寄り添い、彼を支えることもできないことを知っている。

(私が背負うモノも、また、大きなものであり、それを誰と分け合う気もない) 

 でも。

 それでもこの地から強く願う。
 彼らに幸せが訪れるようにと。

 そしてたかくたかく、彼が大空に舞い上がることができるようにと。
 私の手が届かなくとも、とおい空のかなたまでとべるようにと。

















 
 自分がその、足かせにならければいいと。


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